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福西志計子(1847~1898)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月1日更新

 福西志計子

 教育者。松山藩主・福西伊織の家に生まれた。母の意向で隣家の山田方谷に漢学を学び、岡山裁縫伝習所で裁縫を習ったあと、1876(明治9)年高梁小学付属裁縫所の教師に。その後新島襄らの高梁でのキリスト教伝道に共鳴して、1880(明治13)年にキリスト教婦人会を結成して世話人となった。翌年、のちの順正女学校となる私立裁縫所を設立。一方では、1882(明治15)年4月に高梁キリスト教会が設立されると、洗礼を受け、同教会の女性の中心的指導者として活躍した。

 「女性に自由な教育」を理念にした順正女学校は、裁縫のほか文学科を設け、神戸などの先進校から女教師を招いて、教育の内容を充実させた。また、洋服が流行し始めるとさっそく上京して洋服の仕立てや洗濯の仕方を学んできて生徒に直接教えた。毛糸の編み物や造花などもいち早く教えるなど、木村静子の協力もあって、高梁での女性の地位向上、女子教育に大きく貢献した。「人の見えない所に働く者となれ」が信条であった。