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三島中洲(1830~1919)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月1日更新

 三島中洲

 漢学者、備中松山藩士。名は毅。字は遠寂。通称は貞一郎。号は桐南、中洲、絵荘。14歳で山田方谷に学び、のち、斉藤拙堂、佐藤一斎に教えを受けました。30歳で備中松山藩に仕え、有終館学頭となります。板倉勝静が老中になると顧問となり、維新後の1869(明治3)年備中松山城下に虎口渓舎を開きました。43歳の時、明治政府に応じて司法官となり、また、二松学舎を設立し漢学の振興に努めました。東京帝国大学教授、東宮侍講、宮中顧問官などを歴任しました。