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笠神(かさがみ)の文字岩(もじいわ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月1日更新

湖中に沈んでいる笠神の文字岩(現物)

  

 『わが国の水運開発史上最古の記念碑』 鎌倉時代の徳治2年(1307)、日本でも無類の難所であった成羽川上流の笠神龍頭の瀬を、仏の加護によって船路開削したという難工事の経緯を刻んだ記念碑で、わが国の水運開発史上最古のもので極めて重要な史跡です。 

   かつて、備中・備後北部で生産された鉄は、八鳥(現・新見市哲西町)に集められ、険しい山道を2日がかりで成羽へ運び、そこから船で川を下っていました。陸路は距離が長く、急峻な山道でたえず危険にさらされていましたが、笠神の瀬の船路開削工事により船が通るようになり、運送時間と労力が大幅に短縮されました。 

   工事の中心となったのは、成羽善養(ふよう)寺の僧尊海(そんかい)。工事の頭領で文字岩を刻んだのは、奈良の東大寺の再建にあたって宗から招かれた伊一族の石大工伊行経。
 高梁市有漢町に所在する「重要文化財 臍帯寺石幢および石塔婆」の作者は「井野行恒」と刻まれていますが、この「井野行恒」と「伊行経」は同一人物と考えられています。
 

   文字岩は、昭和43年の新成羽川ダム完成に伴い湖中に沈み、今ではその姿を現すことはありませんが、県道沿いに原寸大のレプリカを残しています。県道沿いのレプリカ