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地名をあるく 67.吉備高原と野呂地形

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月1日更新

 岡山県津山盆地の南から高梁・新見・広島県の三次付近にかけて標高三〇〇メートル~七〇〇メートルぐらいの山頂部が揃った吉備高原が発達しています。これは小起伏の地形で「吉備高原面」といわれ、地形学用語として、歴史や地理学などでよく使われています。

 高梁市内を中心とした川上町、備中町、成羽町、宇治町では高原上に村が開け標高五〇〇メートル~六五〇メートルの「吉備高原面」が発達しています。稜線や山頂の高度がだいたい揃っていて浸食された小起伏が発達し多短谷(数多くの短い谷が樹枝状にある)の地形をしているのです。

 なかでも高梁川の支流 成羽川の流域は吉備高原を数百メートルもV字状に深く削り込み、川は穿入曲流となり峡谷地形となっています。この地域は吉備高原の準平原や浸食小起伏面の形成過程を考察する上で日本における代表的なモデル地域なのです。川上町高山付近には東半部に標高四五〇メートル前後の小起伏面が発達し、比高一五〇メートルの急斜面が高原を取り巻き、この地域は吉備高原の小起伏面が最も発達したところで、地形学では「川上層」と名付けています。この小起伏面には、山砂利層といわれる礫層(高瀬層ともいう)が分布しています。隆起準平原の高原には須子山(五二一・七メートル)や弥高山(六五三・六メートル)が飛び抜けていて、前輪廻の残丘といわれ、基盤の岩石は玄武岩に貫かれ、八〇〇万年前の古生代のもので浸食によって表面がなだらかになっています。地形図(五万分の一・図幅「油木」)で見ると、備中町の平川や布賀、そして川上町の七地、成羽町長地付近に極めて広い小起伏の平坦面があります。これらの隆起準平原はいずれも高梁川の支谷によって開析されています。隆起準平原面は平坦で浸食を受けた丘陵が波状にうねって続いています。発達した「吉備高原面」のクボ(谷)は耕地に利用され、山の部分の微高地は、浸食されている面で、クボになった谷は浸食された土砂で埋められた堆積面で、吉備高原特有の地形が見られるのです。山の部分は赤土が多く畑作が行われ、クボの部分は黒土が多く水田に利用され、「迫」とか「窪」、丘の高いところは「空」「ソネ」などの地名が多いのが「吉備高原面」の特色なのです。このような高原の地形を「野呂地形」と呼んでいます。備中町、川上町、成羽町の高原の地域は生活の舞台はほとんど高原上にあり、高原と河岸場を人馬で往来し、物資の輸送をしていたのです。高原の平坦面上には道路が発達し集落が散在しています。この高原上の道は「野呂の道」といわれました。例えば東油野と下の田原の河岸場への道、平川から惣田や井川への道、布賀から黒鳥の河岸場への道などがあって、物資は河岸場から船積みし下流へ運んでいました。「野呂の道」は生活を支える道でした。

 吉備高原は起伏の少ない老年状の山地で、五〇〇メートル~六〇〇メートル広がる高原面は、中新世末期に形成されただろうといわれているのです。「吉備高原」とは地理学や地形学の用語で、専門家によって岡山県一帯から広島県に広がる地形なので「吉備の国」の吉備をとって名付けられたものです。
(文・松前俊洋さん)