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地名をあるく 8.津々羅

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月1日更新
 今回は、中井町津々と備中町平川に見られる「津々羅」という地名を尋ねてみたいと思います。
 中井町津々にある「津々羅」は津々川に架かる津々羅橋から南東の祇園山(五五〇m)に鎮座する祇園寺(宮)へ登る北側の参道になっていました。入り口の津々羅橋付近は旧西方村との境にあたる場所でした。付近には、大師堂があり弘法大師作と伝えられる岩に刻まれた六地蔵が祀られていたり、祇園道への道標が立っていたり、この付近が祇園信仰でにぎわったなごりが残っています。 また、付近には毛利の家臣宍戸備前守が攻めたと伝えられ、戦国時代末期に庄氏の一族津々加賀守が居城していたといわれる津々城の跡が残っています。今では、吉備高原の山々が迫る谷あいの道に沿って「津々羅」の集落や水田が見られる地域であります。
 備中町平川にある「津々羅」は、吉備高原上にある平川の中心、中郷・下郷から波浪状にうねる高原面を備中と備後(広島県)の境に沿って九十九折りの道を南へ進むと県境にトロイデ型の火山だった日野山(六六九m)がそびえ、そのふもとにある安田の集落を過ぎると山間に八軒の「津々羅」の集落があります。西は広島県神石郡神石高原町、南東は井原市芳井町や川上町高山市に接しています。山間にわずかな水田が見られるだけで、平坦地に乏しくほとんどが斜面を利用した畑作の地域なのです。
 「津々羅」の西の尾根は「八国の峰」(六八〇m)といわれる三角点を持つ山で、平川では一番高い海抜高度の場所でふもとには備後との境にあたる峠があります。
 今でも峠には、道標を兼ねた牛馬供養の万人講石と六地蔵の道標石仏が立っていて峠を大切にした信仰の歴史を感じさせてくれます。「津々羅」に住む瀬戸川角男さん(77歳)は「昔この峠は、大変淋しく恐ろしい場所だったのです。人斬りがよく出たという言い伝えが残っているのです」と話してくれました。
 「津々羅」の地名は寛保三年(一七四一)の「平川村明細帳」(平川家文書=「備中町史」)に平川村の枝郷の一つとして書かれ「腰山(越山)つゝらへ本郷より一里半南の方」などと地名が見えています。
 また、文化一〇年(一八一三)の「平川村明細帳」(前掲書)にも「御林つゞら谷隠地平山…御留山(直轄林)の御林守…」などと書かれています。
 産土神は素盞鳴命を祭神とする笠神神社(大明神)で、社殿は小さいが本殿裏に笠形の陽石が祀られ、穀物の豊年と止雨に霊験あらたかな神として信仰され、巨石信仰自然崇拝の名残りを留める神社であります。
 「津々羅」という地名は「葛折」即ち、クズの葛のように折れ曲がっている意味から「重ね合わされたような地形」とか「幾重にも曲がりくねった坂路=九十九折」、「つづら折りになった山路」の意味に用いられ、綴、葛、葛籠、津々良、津々羅などの文字が使われることがよくあります。 「津々羅」の地名は、自然環境を端的に表現した地形語で、自然地名の一つなのです。
(文・松前俊洋さん)